ミーシャが死んだ
7月29日ミーシャが死んだ。日記を調べたら2003年の7月23日、お得意様の南小泉のTさん宅にパンを届けに行ったとき、庭の草むらに何かいる気配。玄関先でTさんと立ち話をしていたら私の足元でくるくる回っている猫がいた。それがミーシャだった。捨てられたのか、迷い猫なのかわからなかったけど、毛並みがロシアンブルーだったし、Tさんが「昨日からなんかいるのよね、私猫嫌いだから連れて帰って」とおっしゃったのでそのまま我が家に連れて帰りました。見た目がきれいなロシアンブルーだったのでロシア風の名前で「ミーシャ」と付けました。世話のやける猫だったけど、やさしい甘えん坊の猫でした。おとなしく、抱っこされても嫌がらない猫で、よく私の腹の上で寝てました。自分もミーシャにはだいぶ癒されました。あれからちょうど12年・・・。いつかは死ぬのは分かっているけど・・・。切ないです。ただ、死ぬ一週間ぐらい前に抱っこした時、俺の顔をじっと見つめてた。いつもと違う目の輝きだった「父ちゃん、今まで育ててくれてありがとう」って言ってるみたいだった。なんとなくそんな気がしたんだ・・・。病院で死んだのが心残りだったなぁ・・・。こんな時はいつも河島英五の歌の歌詞を思い出すんだ、「哀しみはいつだって幸せな日を選び、風のように現れて夢のように消えてゆく、ひたすらに流れてゆけささやかな人生よ、せめて戻せぬ運命(さだめ)なら・・」って。
ミーシャも俺に出会ってよかったろう俺ら家族もお前にだいぶ癒された。ありがとうな、俺が三途の川を渡るときは向こう岸で、ニャンコとポイとリュースケと茶々子とミーシャと5匹でちゃんと待ってろよ!じゃあな!今までありがとう。




ミーシャも俺に出会ってよかったろう俺ら家族もお前にだいぶ癒された。ありがとうな、俺が三途の川を渡るときは向こう岸で、ニャンコとポイとリュースケと茶々子とミーシャと5匹でちゃんと待ってろよ!じゃあな!今までありがとう。





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やっと手に入れました
よく、お客様から店の名前の由来を聞かれます。遡ること南小泉小学校2年生の時、図書館で初めて手にした本がこの本なんです。
表紙の絵が子ども心に素敵だったので、手にしたのだと思います。その時「ジャンヌダーク」という名前がインプットされました。
それからだいぶ年月がたち、大学生時分に第一楽器の二階にあった「名画座」で「カサブランカ」を見てイングリット・バーグマンの美しさにはまってしまって、バーグマンの映画を立て続けに見ました。その中に「ジャンヌ・ダルク」という映画がありました。そこでまたあのときの(小二の)記憶がよみがえってきたわけです。それから、分家独立するときに長岡の「宝徳稲荷神社」にお参りに行きました。
(この神社は私の父がよく参拝に行ってました)拝殿に座った時、何となく女性の名前がいいなぁつて思ったわけです。(なんの根拠も有りませんでしたが)その時、フッと浮かんだのが「ジャンヌ・ダルク」という名前でした。それで、付けたわけです。ちょうどその頃、東京デズニーランドが出来て、「商標権」というのが問題になっていました。「ジャンヌ・ダルク」という名前は誰でも知ってるし良い名前だから商標権を申請した方がいいよ」と弁理士さんに言われて当時10万円は痛かったけど後々の事を考えて申請しました。それから1年後だったか2年後だったかに無事審査が通って、「ジャンヌダルク」の商標権を取得いたしました。10年ごとの更新になりますその都度10万円ぐらいかかります。今思うとあの時申請しておいてよかったなぁって思っています。


この本は昭和26年発行の初版本です。作者はナントあの「眠狂四郎」シリーズの柴田錬三郎です。戦後、子供向けの偉人伝で糊口をしのいでいたんですね。
表紙の絵が子ども心に素敵だったので、手にしたのだと思います。その時「ジャンヌダーク」という名前がインプットされました。
それからだいぶ年月がたち、大学生時分に第一楽器の二階にあった「名画座」で「カサブランカ」を見てイングリット・バーグマンの美しさにはまってしまって、バーグマンの映画を立て続けに見ました。その中に「ジャンヌ・ダルク」という映画がありました。そこでまたあのときの(小二の)記憶がよみがえってきたわけです。それから、分家独立するときに長岡の「宝徳稲荷神社」にお参りに行きました。
(この神社は私の父がよく参拝に行ってました)拝殿に座った時、何となく女性の名前がいいなぁつて思ったわけです。(なんの根拠も有りませんでしたが)その時、フッと浮かんだのが「ジャンヌ・ダルク」という名前でした。それで、付けたわけです。ちょうどその頃、東京デズニーランドが出来て、「商標権」というのが問題になっていました。「ジャンヌ・ダルク」という名前は誰でも知ってるし良い名前だから商標権を申請した方がいいよ」と弁理士さんに言われて当時10万円は痛かったけど後々の事を考えて申請しました。それから1年後だったか2年後だったかに無事審査が通って、「ジャンヌダルク」の商標権を取得いたしました。10年ごとの更新になりますその都度10万円ぐらいかかります。今思うとあの時申請しておいてよかったなぁって思っています。


この本は昭和26年発行の初版本です。作者はナントあの「眠狂四郎」シリーズの柴田錬三郎です。戦後、子供向けの偉人伝で糊口をしのいでいたんですね。
